シンボルマークはセンサのメカニズムを頭文字Sで直感的に表しています
センシング技術応用研究会

SSTJ

The Society of Sensing Technology of Japan
お知らせ

濱川名誉会長とセンシング技術応用研究会

  

 濱川圭弘名誉会長はセンシング技術応用研究会生みの親の一人です。 濱川先生がご逝去された報に接し、本当に残念な思いでいっぱいです。 本研究会創設の頃の話を私の知っている限りでここに記して、先生の業績の一部を記録にとどめたいと思います。

 本研究会は昭和52年創立ですが、この研究会発足の元となった研究会が財団法人関西電子工業振興センター(KEC)にありました。当時センサという言葉はまだほとんど使われておらず、トランスデューサー研究会がセンター会員の中で続いており、その中の委員に神戸大学の豊田実教授と濱川圭弘助教授、そして府立工業技術研究所の田中恒久部長(現在の幹事田中恒久氏と同姓同名も縁ですね)が参加しておりました。これらの委員がセンサ技術は今後電子業界以外の分野でも益々重要となるので、センター会員だけでなく、広く関西産業界の発展に寄与できるようにしたいと意見が一致して、KECの枠にとらわれない研究会の設立を目指されました。 それが 本研究会の発足契機となりました。 名称は濱川先生の発案で「センシング技術応用研究会」と センサだけでなく、その応用システムを含む将来性を見越した命名となっていたと現在になって改めて思い直します。

 本研究会は産業界に寄与したいという発起人3名の意向を受けて、濱川先生が学会、産業界共に見渡せる三戸左内先生(大阪市立大学名誉教授、シャープ株式会社常務取締役中央研究所長)に話をして、会長として指導していただくことになりました。豊田先生は副会長として実質的な会運営の責任者として活動いただくことになりました。事務局は工技研が担当することになり研究員数名が委員として参加、私もその時に濱川先生が中心人物の一人だから事務局をするようにと言うことで参加しました。

これら4名の方は毎回参加し、幹事会で会運営の基礎を築かれました。特に濱川先生は会員の立場を重視してともすれば事務局の都合で動き出そうとする運営を訂正するなど事務局にはかなり厳しい委員でした。またどのように会を広く魅力あるものとして知っていただくか、広報のあり方についても指導いただき、大変良い勉強をさせてもらえたと思っています。

先生は活発に活動しようという動きに対しては積極的な支援をしていただき、本会の中に「薄膜センサ技術分科会」(会長奥山雅則現センシング技術応用研究会会長)の設立に同意いただき、支援いただきました。 この分科会の活動から 大阪府先導的研究プロジェクト「スーパーアイイメージセンサ研究開発プロジェクト」が発足し、大阪府立産業技術総合研究所のMEMS開発事業、マイクロデバイス研究開発の基盤となり、また種々の波及効果も得られています。

当研究会の発足当時を中心に 裏話的であったかもしれませんが、研究会の基盤作りを行っていただいた会長としての一面を書かせていただきました。

       
 鈴木 義彦(センシング技術応用研究会副会長)